引退後も指導者として
日本を代表する柔道選手であり、また現在は指導者として活躍をしているのが古賀稔彦です。
古賀稔彦は佐賀県出身の日本体育大学の卒業生であり、バルセロナオリンピックでは男子柔道71kg級の日本代表選手として日本中を沸き立たせる活躍を見せてくれました。
現在では環太平洋大学の教授として、柔道の指導にあたっています。
現役選手であった頃には、常に一本をとり続けることにこだわるスタイルと、小柄ながらキレの鋭い技で、「平成の三四郎」という異名を受けていたりもしました。
1992年のバルセロナ・オリンピックでは、選手団主将を勤めるも、親しかった吉田秀彦選手との練習中に左膝を傷めるという負傷を負い、ハンデを持っての試合となったことはあまりにも有名です。
ハンデを背負っての金メダル
古賀稔彦選手がすばらしい選手だと言われる一つの原因になっているのが、このバルセロナ・オリンピックでの負傷を抱えながら一本をとる柔道にこだわり、金メダルを獲得したという強い精神力があるからです。
のちに残した名言には「克己とは 体力の差でもない 知識の差でもない 意志の差だ。」という言葉があり、柔道という競技において自分に勝つことの大切さと、強い意志を持つことを教えてくれています。
2000年に現役選手を退いてからは全日本女子柔道の強化コーチとなり、同時に2003年からは子供の人間育成を目的として掲げる「古賀塾」を開塾しました。
2004年には弟子である谷本歩実がアテネオリンピックの金メダリストとなっており、指導者としての実績の高さを知ることができます。
内柴選手とのつながり
選手時代に見せてくれた強いプロ意識は指導者になった現在までもしっかりと続いており、2011年に後輩にあたる金メダリストの内柴正人容疑者が逮捕されたことを受け、「裏切ってはいけなかった」という言葉を残しています。
男性として女子柔道の指導にあたるという内柴容疑者と同じ立場にいた古賀さんは、女子柔道選手を預かるときには厳格なルールを設け、未成年の禁酒や男女交際などを固く禁じて競技に真剣に取り組む環境を作ってきたといいます。
女子の相談を監督夫人が受け付けられる体勢をつくるなど、重ねて信頼関係を選手やその両親と築いてきた古賀さんだけに、内柴容疑者のしてきたことに対して激しい怒りを覚えたのだと思います。
これからも日本柔道を強くし、後輩たちを正しく教え導く役目をぜひ積極的に果たしていってもらいたいものだとせつに願うところです。