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ヘッドハンティングされた原田泳幸

転職でキャリアを積み上げていった原田

原田泳幸氏は、東海大工学部通信工学科を卒業後、日本NCRを経て横浜ヒューレット・パッカード、フランスのシュルンベルジェ・グループ、アップルコンピュータ社日本法人と次々に転職経歴を重ねてきた人でした。
当時の日本ではサラリーマンとしての勤め人に限らずかなり経営者的な地位にある人も、簡単に転職をしないことが慣例となっていたので、原田泳幸のような転職によってキャリアを積み上げていくタイプの生き方を選んだ人というのは相当珍しい存在でした。
アップルコンピュータ社日本法人ではマーケティング部長として活躍をしていましたが、その手腕を買われ、1996年にはアメリカ本土に渡って日本人初の副社長として就任をします。
ですが原田泳幸氏が本当に経営者としての手腕を発揮することになったのは、2004年からの日本マクドナルドホールディングスの代表取締役社長兼CEOとして就任をしてからのことです。

MAC副社長からマック社長へ

「Macからマックへ」と不思議な転職劇をすることになった原田泳幸ですが、当時の日本におけるマクドナルドはすでにある程度の知名度は獲得していたものの、低価格の廉価食品をおくところというチープなイメージがどうしてもつきまとっていました。
そこで、原田泳幸がとった方針というのが「作りおきをしないメイド・フォー・ユー」の精神によるもので、チェーン店としてのネットワークを維持しつつ、営業時間の拡大などを行い、赤字経営が続いていたマクドナルドを一気に建て直しました。
原田泳幸がマクドナルドの社長に就任して感じたのは、店舗を急激に拡大したことによって適切な人材が育たなくなったということだと言います。
そこで、2010年には戦略的に全国で433店舗を閉鎖し、赤字店を一気に整理しました。
地域間において売上の格差もあり、それらを平均的なものにするため、人材の育成や店舗内のサービス確認などを行ったのです。

「当たり前のことをきちんとやらずに、新規事業に手を出してもダメ」という方針のもと、現在も長期的な戦略のもとでマクドナルドは営業を続けています。
原田泳幸のようにキャリアを重ねて実績を着実に積み重ねていくことにより、やがて大きな会社の社長としてヘッドハンティングをされるようになることも可能であるのかもしれません。

最近では外資系に限らず日本企業においても、優秀な人材を経営のトップとしてヘッドハンティングすることも盛んになっています。

もしかすると次はあなたかもしれませんよ。


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