お茶漬けのマーク

最後の高座と桂吉朝

役者噺家・桂吉朝

芸人の世界には、笑いをとるために命を張って芸を行うような人もたくさんいたようです。
ですが、やはり歴史と伝統の長い噺家の世界にあっては、その長老的地位にある人が行った臨終間際の最後の公演がかなり多くのファンの記憶に残るすばらしいものとなっています。
中でも桂吉朝が2005年10月27日に行った、大阪国立文楽劇場での最後の公演「弱法師(よろぼし)」は、今後もきっと長く語り継がれるすばらしいものとなることでしょう。
桂吉朝とは、本名上田浩久という大阪出身の落語家で、1974年に3代目桂米朝に弟子入りをして以来、数々の高座をふんできました。
中でも芝居噺を得意としていたことで有名で、「時刻八景亡者戯」や「百年目」「愛宕山」「高津の富」などを行って来ました。

噺家として活動をする一方で、非常に芸風が広いこともまた多くの場所で評価をされてきており、落語以外にも劇団関係者とも深く進行を持ち、役者としても舞台を多く踏んできたともいいます。
さらに、狂言師であった13世茂山千五郎などとともに狂言と落語を融合させた「落言」を行ったこともありました。
他にも文楽との共演やモノマネを芸に取り入れるなど、かなり精力的にカタにはまらない芸の追求を行なってきた人でもありました。

参考サイト桂吉朝|Wikipedia

臨終間際、最期の高座

その才能から桂米朝の後継者として期待を高く受けていましたが、1999年に胃がんを患っていることが判明し、2005年に亡くなるまで何度も手術を繰り返すことになりました。
治療中も高座を勤め続けていましたが、亡くなる直前にはすでに末期状態になっており、最後の高座にたったときにも、楽屋には医師が待機していたほどだといいます。
亡くなったのは2005年の11月8日のことで、最後の高座が行われてからわずか12日後のことでした。

最後の高座の題材となったのは「弱法師(よろぼし)」という有名な演目で、あらすじは、河内国の左衛門尉通俊が、人のそそのかしにあってわが子である俊徳丸を追放してしまいます。
俊徳丸は悲しみのあまり盲目となってしまいますが、そのあと間違いに気づいた通俊は俊徳丸を探し見つけ出します。そのとき俊徳丸は乞食として施しを受ける身になっており、弱法師と呼ばれいます。
親として名乗り出ることがはばかられた通俊は弱法師に日想観を拝むように言うと、弱法師はかつて目に見えていた景色を思い出して興奮のあまり狂ってしまいます。
そのあと正気を取り戻した弱法師を、父親と名乗りでた通俊が連れ戻すというストーリです。


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