日本的自動車造りを再建させたカルロス・ゴーン

日産再建の立役者

経営のプロとして招かれた人として、おそらく日本で一番有名なのは日産自動車のカルロス・ゴーンではないかと思います。
カルロス・ゴーンはもともと民間会社化されたばかりのルノーにミシュランタイヤから引きぬかれた経営者でしたが、その業績建て直しの成果が目覚しいことから日産とも提携して経営にたずさわることになりました。
そののち日産は奇跡的とも言える速さで再建を果たしています。
その経営者報酬の高さや強引な企業内変革ばかりが大きくとりあげられがちなカルロス・ゴーンですが、実際に彼がとった経営者としての方法は、切り捨てや単純な効率化ではない日産らしさの延長によるものだったのです。

もとは工場労働者から

カルロス・ゴーンは最初から経営者であったわけではなく、ミシュランタイヤに入社した当時は工場労働者としての仕事を受け持っていました。
技術者としての能力をかわれての入社だったのですが、そこで働く労働者達の役割分担や動き方などを実際に体感したことが、のちの会社経営に大きな影響を与えたとしています。
経営者が現場の様子を知らなければ、競争力を向上させることなどできないというのが、のちのカルロス・ゴーンにとっての大きな指針となっています。
もともと実力のあったカルロス・ゴーンは入社後半年で工場長に昇進し、やがて品質管理担当者や現場マネージャーなどの職を経て26歳の若さにして工場を統括する立場になります。

徹底した現場主義

そこで本社に一度は呼び戻されるのですが、すぐにミシュランタイヤのブラジル工場の赤字を立て直すために送り込まれることになります。
このときの異文化の中で自社製品を作ることに関係した、文化と経営スタイルとの融合方法はのちに日産自動車においても発揮されることになります。
それからも次々に経営の鋭い手腕を学びながら発揮していくゴーンですが、同族企業ではそれ以上の出世はないと悟り、次に声がかかったルノーへと転職をします。
ルノーに入ってまもなく、大幅なコスト削減策を打ち出したゴーンは、たちまち収益力を復活させ、黒字経営を行うことができるようにします。
やがて同じく破産寸前出会った日産自動車とも提携を果たし、構造改革によって日産自動車を復活させるにいたります。
カルロス・ゴーンの優れたところは、赤字体質の企業に自ら飛び込んでゆきそこで成果を出す強さです。
これは、若い時期に経験をした異文化との交流や徹底した現場主義によるものの考え方が大きな原動力になっていると言えます。