日本屈指のイタリアンシェフ落合務

イタリアンシェフの先駆け

今ではすっかりイタリアン・レストランは私達日本人にとってもおなじみの料理ジャンルとなりましたが、わずか数十年くらい前までは、日本にいて食べられるイタリア料理と言えばスパゲティとピザくらいのもの。それもかなり日本人好みに大幅改良されたもののみとなっていました。
それがわずかの年月の間にさまざまな形や太さのパスタ料理や、本格石窯焼きのピザ、リゾットやパンチェッタなどの加工肉などを手軽に食べられるうようになったのは、日本から本場イタリアに渡り、本物の技術を身に着けて日本に広げてくれた有名シェフの活躍があったからでしょう。
中でも、日本人イタリアンシェフの先駆けとされているのが、落合務さんです。

きっかけはラーメン屋

落合務さんは1947年の神奈川県出身で、現在ではラ・ベットラ・ダ・オチアイのオーナーシェフとして活躍をしています。
ラ・ベットラ・ダ・オチアイは銀座を本店とし、池袋や名古屋、富山に支店を出す日本屈指の有名イタリア料理店です。
何度も料理番組などで紹介されているので、落合シェフやラ・ベットラ・ダ・オチアイについては詳しい人も多いかと思います。
これまで本国イタリアを始め日本などでも数度シェフとしての功績に対しての賞を受けている落合さんですが、実はその両親や祖父は全く料理に関係のない工場の経営者をしていいました。
落合さんが料理をはじめるきっかけとなったのが、中学生のときに父親といった中華そば屋だったといいます。
本格イタリアンシェフの料理への目覚めがラーメンというとちょっと驚きますが、そのとき厨房にいた男性が手早くチャーハンを作っているのを見て、料理人を志そうと思ったのだそうです。
その後進学をした高校を1年でやめ、料理の道を志していきました。

フレンチからイタリアンへ

日本ではホテルニューオータニなどフランス料理店に勤めていたそうですが、やがて国内での修行に限界を感じ、フランスへ料理の勉強へ出かけます。
イタリア料理に目覚めたのはフランスへの旅の帰りに立ち寄ったイタリアでのことだといいます。そこで毎日食べても飽きないイタリア料理というジャンルに出会い、一気に宗旨替えをしてイタリア料理の道に進んでいったそうです。
その後イタリアでメキメキと実力を伸ばした落合さんは、日本でのイタリア料理店「グラナータ」での料理長として就任します。
経歴を見ると、イタリアンシェフになったのはいくつかの偶然が重なった結果ということが言えます。
プロフェッショナルとして活躍する人には、不思議な偶然が重なるものなのかもしれません。